日本歴史地名大系 「東寒野村」の解説
東寒野村
ひがしさまのむら
西は西寒野村、北は緑川を挟んで用小北両山事」とある小北に比定され、以後、甲佐社領として文永九年(一二七二)・建治二年(一二七六)・文保元年(一三一七)などに同社内阿蘇殿造営役として材木などを納めている(文保元年一一月二三日「甲佐社内阿蘇殿造営料木催促奉書」など、同文書)。延元二年(一三三七)五月一八日、宇治惟時が甲佐社に寄進した「御内郷」の除分として「寒野、有安、津々良村」がある(「宇治惟時寄進状写」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報