日本大百科全書(ニッポニカ) 「砥用」の意味・わかりやすい解説
砥用
ともち
熊本県中東部、下益城(しもましき)郡にあった旧町名(砥用町(まち))。現在は美里町(みさとまち)の東部を占める地域。旧砥用町は1924年(大正13)町制施行。1955年(昭和30)東砥用村と合併。2004年(平成16)中央町と合併、美里町となる。旧町域は、臼杵(うすき)‐八代(やつしろ)構造線に沿って中央をほぼ東西に流れる緑川により、開析の進んだ低山地性の御船(みふね)山地に属する北半域と、起伏の大きな険しい九州山地北部に属する南半域とに大別される。さらに北半域は東進するにつれ高度を増し、町が渓口集落を中核に形成されていることをしのばせる。名称の「砥用」は緑川中流域の古称(鎌倉時代)砥用郷にあやかった。農林業が基幹産業。おもな作物は、17世紀末に開削された井手(いで)に依存する台地・丘陵面のイネ、タバコ、クワであるが、近年では79%の林野率の特性を生かし、シイタケ、コンニャク、チャ、タケノコ、クリ、カキなどの栽培やメロン、キュウリなどの施設園芸も盛んである。注目すべきは、緑川ダムの竣工(しゅんこう)(1971)によって生じた人造湖が新たな親水性の運動・保養施設(ヨットハーバー、サイクリングロード、キャンプ場ほか)を誘致する契機となり、埋もれがちであった渓谷・山岳などの自然美が、石造の霊台橋(れいだいきょう)(国指定重要文化財)、雄亀滝(おけだき/おけだけ)橋などの人工美とも結び付き、観光客を集め始めたことである。東西に走る国道218号、それより分岐し南に延びる国道445号は、ともに砥用の渓口集落としての中心性をいっそう高めている。福城寺(ふくじょうじ)には国の重要文化財、木造釈迦如来(しゃかにょらい)立像がある。
[山口守人]