東寧府(読み)とうねいふ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東寧府」の意味・わかりやすい解説

東寧府
とうねいふ

朝鮮高麗(こうらい)時代に元(げん)が朝鮮北西部を支配するため設置した機関。元の世祖フビライ(在位1260~94)は1269年、高麗の西北面兵馬使営記官崔担(さいたん)が起こした内乱に乗じて出兵し、岊嶺(せつれい)(慈悲嶺)以北の平安道、黄海道一帯を占領して直轄植民地とした。翌年元は西京平壌)に植民地統治機関として東寧府を設置し、崔担を初代総管に任命した。1275年東寧路総督府に昇格したが、90年、たび重なる高麗の要請を受け入れた元は当地方を高麗に返還し、東寧府は遼東(りょうとう)地方の遼陽に移動した。元の滅亡後その地は元遺民の根拠地となったが、1369~70年に高麗の東北面元帥李成桂(りせいけい)(李朝の太祖)が率いる1万5000の軍隊に攻撃され、屈伏した。

[吉田光男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東寧府」の意味・わかりやすい解説

東寧府
とうねいふ
Tongnyǒngbu

モンゴル高麗侵入に際して高麗の西北面に設けた直接支配区域名。 1270年 (元は至元7年,高麗は元宗 11年) ,林衍らが反乱を起したとき,西北面兵馬使の崔坦は西京 (平壌) 以下 60城を元に献じて投降した。そこで元の世祖フビライ・ハンは 71年,西京を東寧府と改称し,崔坦を東寧府総管に任命し,慈悲嶺をもって国境として東寧府を元の直接支配に繰入れた。 75年には東寧府は昇格して東寧路となり総管府も設けられたが,元と高麗との関係が好転すると 90年 (元は至元 27年,高麗は忠烈王 16年) ,元は東寧府を廃しその支配を高麗に返還した。

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