コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

東寧府 とうねいふTongnyǒngbu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東寧府
とうねいふ
Tongnyǒngbu

モンゴルが高麗侵入に際して高麗の西北面に設けた直接支配区域名。 1270年 (元は至元7年,高麗は元宗 11年) ,林衍らが反乱を起したとき,西北面兵馬使の崔坦は西京 (平壌) 以下 60城を元に献じて投降した。そこで元の世祖フビライ・ハンは 71年,西京を東寧府と改称し,崔坦を東寧府総管に任命し,慈悲嶺をもって国境として東寧府を元の直接支配に繰入れた。 75年には東寧府は昇格して東寧路となり総管府も設けられたが,元と高麗との関係が好転すると 90年 (元は至元 27年,高麗は忠烈王 16年) ,元は東寧府を廃しその支配を高麗に返還した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東寧府
とうねいふ

朝鮮、高麗(こうらい)時代に元(げん)が朝鮮北西部を支配するため設置した機関。元の世祖フビライ(在位1260~94)は1269年、高麗の西北面兵馬使営記官崔担(さいたん)が起こした内乱に乗じて出兵し、(せつれい)(慈悲嶺)以北の平安道、黄海道一帯を占領して直轄植民地とした。翌年元は西京(平壌)に植民地統治機関として東寧府を設置し、崔担を初代総管に任命した。1275年東寧路総督府に昇格したが、90年、たび重なる高麗の要請を受け入れた元は当地方を高麗に返還し、東寧府は遼東(りょうとう)地方の遼陽に移動した。元の滅亡後その地は元遺民の根拠地となったが、1369~70年に高麗の東北面元帥李成桂(りせいけい)(李朝の太祖)が率いる1万5000の軍隊に攻撃され、屈伏した。[吉田光男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

スタットキャスト

大リーグの全30球場に高精度カメラやレーダーを設置し、ボールや選手の動きを細かく分析。走攻守全てで、これまで分からなかったデータを解析し、試合やチーム作りに生かせる。例えば投手では、投げる球種の回転数...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android