忠烈王(読み)ちゅうれつおう(英語表記)Ch'ungryǒl-wang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

忠烈王
ちゅうれつおう
Ch'ungryǒl-wang

[生]高宗23(1236).2.
[没]忠烈王34(1308).7.
朝鮮,高麗の第 25代の王 (在位 1274~1308) 。諱はきょ。古諱はじん,しゅん。元宗の長子。元宗1 (1260) 年元に行き,特進上柱国東安公に封じられ,同 12年再び元に行き,元の世祖フビライ・ハンの娘忽都魯掲里迷失 (くとるけりみし) 公主と結婚。同 15年6月元宗の死により帰国,即位した。同年 10月元軍の日本遠征に協力したが,失敗に終り (文永の役) ,さらに忠烈王7 (81) 年再び日本を攻めて失敗した (弘安の役) 。忠烈王は十数回も元に行き,元の勢力を背景に権臣たちを押えて王権は安定したが元の圧迫に苦しみ,また太子 (忠宣王) との不和で苦しんだ。王の時代には元の官制,学問,風俗,習慣が流入したが,特に朱子学は有名。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちゅうれつおう【忠烈王 Ch‘ung‐nyŏl‐wang】

1236‐1308
朝鮮,高麗の第25代王。在位1274‐1308年。姓名は王初名は諶,賰。元宗の子。彼は,元の公女正妃とし,元の風俗・習慣の導入に努め,日本侵略の助勢や官制の大規模な改定ほかの元の要求を甘受しながら,元との一体化を推進して,王権の安定を図った。しかし,正妃の没後,それぞれに元の力を背景にした,高麗朝廷内の国王派と世子派の対立が表面化し,1298年世子の即位(忠宣王)と王の復位がめまぐるしく行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忠烈王
ちゅうれつおう
(1236―1308)

朝鮮、高麗(こうらい)第25代の王(在位1274~1308)。父は第24代の元宗、母は順敬太后金氏。高麗がモンゴルに対する抗争を完全に放棄して以後の最初の国王。元の世祖フビライの娘を妃に迎えて、高麗と元の王室は一家の関係に置かれた。その治世の初めは、30年にわたる抗モンゴル闘争によって国土が荒廃していたなかで、二度にわたる元の日本遠征において、高麗が艦船の建造と軍糧の供給を担当しなくてはならないという時期にあたっていた。[浜中 昇]

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