日本大百科全書(ニッポニカ) 「東山油田」の意味・わかりやすい解説
東山油田
ひがしやまゆでん
新潟県長岡市東部を限る東山丘陵の浦瀬(うらせ)、比礼(ひれ)、桂沢(かつらざわ)地区に広がる旧越後(えちご)の三大油田の一つ。鉱区は幅1.5キロメートル、長さ7キロメートルに及び、含油層は東山背斜の第三紀中新世に属する椎谷(しいや)層で、深度は150~800メートルの浅層油田である。明治初期の手掘りから開発が始まり、いまも手掘り井戸の跡を残している。明治中期の上総(かずさ)掘り時代から民間石油会社が乱立し、1893年(明治26)加津保(かつぼ)3号井の大噴油で活気を帯び、明治末期から大正初期の全盛期には年産6万キロリットルを産油し、長岡はパイプライン輸送によって大製油都市に発展した。しかし、昭和に入ると油田は老朽化し、第二次世界大戦中は背斜軸の西翼から坑道を掘って残油を採油する日本初の桂沢坑道掘りが始められた。1962年(昭和37)廃坑となったが(坑跡の閉鎖は2010年)、浦瀬付近の旧石油井は長岡東山山本山県立自然公園内の史跡として保存されている。
[山崎久雄]