東川別役城跡(読み)ひがしがわべつちやくじようあと

日本歴史地名大系 「東川別役城跡」の解説

東川別役城跡
ひがしがわべつちやくじようあと

[現在地名]香我美町別役 土居

別役の東部字土居どいにある。土居を通る道の北に樹木に囲まれて八幡宮が鎮座するが、その下に大門の跡と伝える地があるのみで遺構をとどめない。城跡は民家となっている。

長宗我部氏時代の城主は別役三吉郎義重、または別役左衛門佐といわれる。別役氏は在原氏(橘氏とも)の後裔といわれ、初め七左衛門重忠が東川別役城のほか奥西川おくにしがわにあった別役城、中西川にあった大森おおもり城の城主でもあったという。その子七郎兵衛勝久が槙山まきやま(現物部村)の小松氏の養子になったので、三郎左衛門が家を継いで長宗我部元親に仕えたが、天正一四年(一五八六)一二月、長宗我部信親に従って豊後国戸次へつぎ川で戦死したので、三吉郎義重が跡を継いだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む