日本歴史地名大系 「東志賀村」の解説 東志賀村ひがししがむら 愛知県:名古屋市北区東志賀村[現在地名]北区志賀(しが)町・志賀本(しがほん)通・志賀南(しがみなみ)通・黒川本(くろかわほん)通・猿投(さなげ)町・稚児宮(ちごのみや)通北を安井(やすい)村と接する。文和二年(一三五三)の尾張国在庁私領国領注進状案(醍醐寺文書)に「志賀 五反 貞藤」とみえるほか、中世の史料には「志賀」とあり東西に分れていなかった。定光寺祠堂帳(定光寺蔵)によれば、永正一三年(一五一六)のこととして「六俵山田志賀同 (素永取次)妙心禅女」とあり、志賀の地名がみえる。永禄一二年(一五六九)の経聞坊良雄檀那等譲状(美濃長竜寺塔頭経聞坊文書)のなかに「那古屋天王坊下」として「一那古ヤ 一古渡 一ひろ井 一しか 一南かた」とあるが、織田信雄分限帳に「東志賀郷」として初見する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報