東恩納村(読み)ひじやうんなむら

日本歴史地名大系 「東恩納村」の解説

東恩納村
ひじやうんなむら

[現在地名]石川市東恩納ひがしおんなあけぼの二丁目

現石川市の南東端に位置する。西は楚南すなん村、南は具志川ぐしちやー間切栄野比ゆぬび(現具志川市)、東側のなだらかな丘陵下方は海岸段丘となり金武きん湾を望む。同湾に向かって恩納うんな崎が突き出す。南には大覚江があり、西から東に向かって流れる(琉球国旧記)。栄野比村との境界辺りの天願てんがん川のことをウフンガーラとよぶことから大覚江は天願川をさしていると思われる。村名はヒジャウンナとよばれる。当村の始まりは伊波いふあ村から大石根うふいしんにー渡口とうぐちじよう玉元たまむとう・松門・あがり・ミーヤの七戸が移ってきたことという(石川市史)。万暦九年(一五八一)四月六日発給の恩納ノロ辞令書写(那覇市市民文化部歴史資料室蔵宮里栄輝資料)に、越来ぐいーく間切のうちとして恩納うんな村とある。絵図郷村帳でも越来間切のうちに「おんな村」とあり、琉球国高究帳では恩納村の高頭二一〇石余、うち田二六石余・畠一八三石余。康熙五年(一六六六)越来間切より美里んざとう間切が分離、新設されると美里間切に属した。同一二年に恩納うんな間切が新設された際に、同間切恩納うんな(現恩納村)と区別するため、恩納間切の東に位置することから東恩納に改称されたという(南島風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報