沖縄県、沖縄本島中部、東海岸にあった旧市名(具志川市)。現在はうるま市の中央部を占める。方音グシチャー。1968年(昭和43)具志川村から市制施行。2005年(平成17)石川市、中頭(なかがみ)郡与那城(よなしろ)町、勝連(かつれん)町と合併、うるま市となった。旧市域は金武(きん)湾、中城(なかぐすく)湾に面する沿岸部は低地、他は丘陵地が広がっている。国道329号が北部を走る。廃藩置県で職を失った無禄(むろく)士族たちが、沖縄各地に屋取(ヤードイ)集落とよばれる農耕集落をつくったが、とくにジャーガルとよばれる肥沃(ひよく)な土壌に恵まれた具志川には多くの士族が帰農し、屋取集落を形成した。第二次世界大戦前は県下随一のサトウキビの産地で、純農村。戦後、南部の高江洲(たかえす)一帯は、避難民の収容地区に指定され、人口が急増し、アメリカ軍の指令により高江洲市が誕生、さらに付近を統合した前原市(まえはらし)(1946年地区ごとに分離、独立)ができていた。前原市には文教学校、外語学校(ともに琉球(りゅうきゅう)大学の前身)、警察学校、農林高校などがあって文教の中心となっていたが、これらの施設も順次那覇へ移動した。1965年、総合病院の県立中部病院を誘致したことから、住宅地化、工業化が進行、中城湾で新港地区開発が進んでいる。市街地は安慶名(あげな)―平良川(たいらがわ)―赤道(あかみち)を結ぶ県道の沿線と、川崎―安慶名―具志川を結ぶ県道の沿線に街村状に発達。サトウキビ栽培のほか、花卉(かき)栽培、肉用牛、養豚が盛ん。国指定の史跡として安慶名城跡がある。闘牛が盛んで、安慶名闘牛場は7000人を収容でき、全島大会が開催される。
[堂前亮平]
『『具志川市誌』(1970・具志川市)』▽『『具志川市史』全5冊(1991~2000・具志川市)』
沖縄県島尻(しまじり)郡にあった旧村名(具志川村(そん))。現在は久米島町(くめじまちょう)の一地区。2002年(平成14)仲里村(なかざとそん)と合併、町制施行し、久米島町となる。旧具志川村地区は沖縄本島那覇市の西方海上約100キロメートルの久米島西部に位置する。方音グシチャー。島の北部には宇江城(うえぐすく)岳(310メートル)などの山地があり、西側は琉球(りゅうきゅう)石灰岩の台地が発達。島の西端にある久米島空港から那覇(なは)との間に定期航空便がある。また兼城(かねぐすく)港から那覇の泊(とまり)港に定期船が就航している。琉球王朝時代は中国との貿易中継地として栄えた。水に恵まれ、古くから稲作が盛んで「米(くみ)(米(こめ))の島」と称されるほどであったが、後にサトウキビ作にかわった。1903年(明治36)硫黄鳥島(いおうとりしま)の爆発で、大半の島民が翌1904年にかけて久米島に移住し、鳥島区が誕生した。上江洲(うえず)家住宅(国の重要文化財)や具志川城跡(国の史跡)などの旧跡も多い。
[堂前亮平]
『『久米島具志川村史』(1976・具志川村役場)』
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