日本歴史地名大系 「東我堂村」の解説 東我堂村ひがしがどうむら 大阪府:松原市東我堂村[現在地名]松原市天美西(あまみにし)一丁目・天美我堂(あまみがどう)一―七丁目・天美南(あまみみなみ)六丁目芝(しば)村・油上(ゆかみ)村の南にあり、西除(にしよけ)川左岸に位置する。地形は平坦。文禄三年(一五九四)の検地帳(西川家文書)の表紙に「丹北郡布忍郷之内我堂村」とみえ、西我堂の地と合せて一帳で、六尺五寸竿で高六四三石余・反別四六町一反余、家数三七(うち夫役二五)。分村の時期は不明で、慶長三年(一五九八)の田畑屋敷仕訳帳(同文書)には「東西我堂村」とあるが、同一七年水割符帳(田中篤家文書)には我堂とみえ、狭山(さやま)池(現南河内郡狭山町)の大樋(おおひ)筋から取水していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報