「日本書紀」崇神天皇六二年七月二日条に、天皇が「農は天下の大本なり。(中略)今、河内の狭山の埴田水少し。是を以て其の国の百姓、農の事を怠る。其れ多に池溝を開きて民業を寛かにせよ」と詔したとあり、「古事記」垂仁天皇段には、垂仁の皇子印色入日子命が
などの歌がある。藤原顕季の「五月闇さやまの峯にともす火は雲の絶間の星かとぞみる」(千載集)は、池周辺の小高い丘陵を詠んだものか。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府大阪狭山市にある池。《古事記》垂仁記の築造記事が初見。これをそのままは認められないが,大化前代大和朝廷による活発な池溝開発を考えるとき,推古朝までには築造されたであろう。731年(天平3)行基による修築が行われ,翌年には狭山下池が新設され,上,下の2池となった。
執筆者:亀田 隆之 掘削以来,豊臣秀頼による1608年(慶長13)の改修まで,幾回かの決壊・再興を経ているが,その位置は変わらず,大阪府の手による1927年の大改修以後今日まで変化がなく,灌漑用水池としての機能を果たしている。承水区域の面積1800ha,貯水面積51haで,現在もなお大阪府下有数の大池であることは,その古代における位置選定の優秀さを物語る。1705年(宝永2)の大和川付替えによって,それ以北の部分は承水区域から脱したが,しかも第2次大戦前の灌漑区域面積は2500haにも達していた。この池の配水上の特色は,これよりも海岸部に近く位置する多くの小池の親池として,非灌漑期の余剰水を,これら多くの小池に貯留させていることであり,江戸期には大仙陵池(仁徳陵の外濠)にまで送水したことがある。余剰水は〈西除(よ)け〉〈東除け〉の2本の送水路から流出し,〈西除け〉の方が大きいこともあって,江戸期にはしばしばその流水口付近の決壊をみたことがあった。村々への配水は番水制(村ごとの時間配水)であるが,慶長以後,いつのころからか,池に近い村々のうちに割当時間の範囲内で量水標を経ず直接に,それらの村々のもっとも必要とする時期に,随時引水しうる特権をもつ直乗(じきのり)4ヵ村,准直乗7ヵ村を生じている。
執筆者:喜多村 俊夫
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大阪府南部、大阪狭山市中央部にある溜池(ためいけ)。東部の羽曳野(はびきの)丘陵と西部の泉北丘陵間の狭隘(きょうあい)部にあり、『古事記』には垂仁天皇(すいにんてんのう)の子印色入日子命(いにしきのいりひこのみこと)の築造とある。古代より改修を繰り返し、2001年(平成13)平成の改修が完了、洪水調整機能を備えた新しいダム式の溜池として生まれ変わった。均一型アースフィルダム、堤高18.5メートル、堤頂長997メートル、湛水面積0.36平方キロメートル、総貯水容量280万立方メートル。府指定史跡・名勝で、池畔には狭山池博物館がある。
[位野木壽一]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
… 平安時代の文学者たちは京都,奈良の各地に,いわゆる名池なるものをつくっている。そうした名池も現代に残るものも少なくなり,都会に近いところではしだいに汚濁の水をためるようになってはいるが,河内の狭山池のように今日なお千数百年の澄潭(ちようたん)を持続するものもある。しかしこうした名池でなくとも美観をもった池はまだまだ各地に残っている。…
…たとえば,讃岐の満濃池は近世初頭に再興されたが,それに協力した土豪の矢原氏が代々池守となり,池守給を支給されていた。河内の狭山池では,近世初期の再興に下奉行として派遣された田中氏が,工事完了後現地に残されて池守に任命され,近世を通じて世襲した。池守は下役の樋守を指揮して池の管理,池水の分配を行い,役米を水下の村々から徴収した。…
…樋の位置と並んで悪水吐口(はけぐち)についても,その付けようが悪ければ,洪水で堤が切れるものである等とある。 河内国の狭山池が中世の長期にわたって,また再興後の江戸中期においても十分に機能し得なかったのは,排水口(おもに西除け)の崩壊によるところが大きかった。明治初年の再興後,戦後に完成した讃岐満濃池の堤嵩(かさ)上げ(50%の貯水量の増加を見た)以前の吐口は,天然の岩盤の中をくり抜いて設けられていた。…
…池の樋には降雨期などで池水の満水したときに溢水・流出させる〈打樋〉があり,その所は最もたいせつで,池の破損は十中八九まで打樋の所からの堤切れによるから,地盤の固い所であることが要求される。河内国狭山池の破損・縮小は,東西2個の排水樋門(余水吐ともいう)の一つ〈西除げ〉の破壊によってであった。 池の樋には埋樋と尺八樋の2種があった。…
※「狭山池」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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