東条英庵(読み)とうじょう・えいあん

朝日日本歴史人物事典 「東条英庵」の解説

東条英庵

没年:明治8.7.17(1875)
生年:文政4(1821)
幕末の蘭方医,兵学者。毛利家の一門(右田毛利家)毛利筑前の家臣東条永玄の長男長門国(山口県)生まれ。実名は英,寅,のち礼蔵。号は白玉,静軒。天保11(1840)年8月蘭医青木周弼 の門に入り蘭学を修めた。弘化1(1844)年緒方洪庵の適塾に,2年江戸の伊東玄朴に入門した。4年長州藩の西洋書翻訳御用掛に任じられ,嘉永6(1853)年には藩医に抜擢された。安政4(1857)年4月蕃書調所教授手伝,同年11月軍艦操練所(海軍兵学寮)教授方に就任。安政6年1月幕臣に登用され,元治1(1864)年9月開成所(蕃書調所の後身)教授職並となり,オランダ語を教授した。維新後は徳川家達に従って静岡に赴き,学問所2等教授に任じられた。<著作>『練率訓語』『電火銃小解』<参考文献>原平三「東条英庵―蕃書調所教授方小伝―」(『伝記』10巻2,4,5号)

(深瀬泰旦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東条英庵」の解説

東条英庵 とうじょう-えいあん

1821-1875 江戸後期-明治時代の蘭学者
文政4年生まれ。長門(ながと)(山口県)右田(みぎた)毛利家の侍医の子。青木周弼(しゅうすけ),緒方洪庵(おがた-こうあん),伊東玄朴にまなぶ。萩(はぎ)藩医をへて,幕府の蕃書調所教授手伝,軍艦操練所教授方をつとめる。維新後は静岡の徳川家学問所教授となった。明治8年7月17日死去。55歳。名は永,英,寅。字(あざな)は公賓,公寅。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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