東枝下村(読み)ひがししだれむら

日本歴史地名大系 「東枝下村」の解説

東枝下村
ひがししだれむら

[現在地名]豊田市石野いしの

矢作川に架かる両枝橋の東にあって、東西の枝下村を結ぶ渡船場は、飯田街道筋にあたる。中世高橋たかはし庄に属し、文和三年(一三五四)銘の絹本著色親鸞上人絵伝の添状(如意寺蔵)に「三州高橋庄志多利郷」とあり「志多利郷」の名がみえる。

寛文五年(一六六五)東広瀬ひがしひろせ村から分村。享保五年(一七二〇)まで幕府領。同年旗本青山内記領となり明治に至る。この年の参州加茂郡東枝下村鑑差上帳(石野町区有)によると、田三町一反余・畑四町二反余で新田畑が二町余ある。また年貢米古鼠ふつそまで陸路二里、鷲塚わしづか(現碧南市)まで船路九里とある。矢作川筋の渡船は百姓役であった。同一四年の東広瀬村との山論済口証文(石野町区有)によると、赤坂あかさか(現宝飯郡音羽町)町人の仲介により、入会山と個人持山の境を決めて和解している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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