東武庫村(読み)ひがしむこむら

日本歴史地名大系 「東武庫村」の解説

東武庫村
ひがしむこむら

[現在地名]尼崎市武庫元町むこもとまち一丁目・武庫町一丁目・武庫之荘むこのそう二―三丁目・同五丁目・武庫之荘西むこのそうにし二丁目・武庫の里むこのさと一丁目

常吉つねよし村の南に位置する。慶長国絵図では武庫村とあり、高一八五石余。正保郷帳でも同高。元禄郷帳に東武庫村と記され、以降同村名で表記される。領主変遷生津なまづ村に同じ。享保一七年(一七三二)には四町九反余・分米六〇石余が皆損し(「尼崎藩瓦林組村々皆損田地高付帳」岡本家文書)、一〇町五反余・分米一二四石余が二、三割となった(「尼崎藩瓦林組村々大痛田地高付帳」同文書)。享保二〇年の摂河泉石高調では高二七八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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