東泉寺跡(読み)とうせんじあと

日本歴史地名大系 「東泉寺跡」の解説

東泉寺跡
とうせんじあと

[現在地名]芦北町花岡

花岡はなおか古東泉寺ふるとうせんじ地名があり、初めここに天文年間(一五三二―五五)球磨人吉ひとよし永国えいこく(現人吉市)の台庵により開基されたという。同地域内の佐敷東さしきひがし城跡の下、かこい鐘楼跡と竹林に覆われた墓石群が残り、いずれの時かここに移転したという。「国誌」によれば月照山と号し「禅済家京妙心寺末寺」とする。延宝八年(一六八〇)再興し、妙解院(細川忠利)・真源院(細川光尚)位牌を安置したが(「葦北郡佐敷手永寺院御改帳写」元山家文書)幕末廃寺となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む