日本歴史地名大系 「東湊町一丁目」の解説 東湊町一丁目ひがしみなとちよういつちようめ 東京都:中央区旧京橋区地区東湊町一丁目[現在地名]中央区新川(しんかわ)二丁目霊岸島川口(れいがんじまかわぐち)町の東にある。南は亀島(かめじま)川、南東は御船手組屋敷、東は越前福井藩松平氏中屋敷、北は東湊町二丁目・霊岸島銀(れいがんじましろがね)町四丁目。寛永年間(一六二四―四四)に起立したといい、町名は亀島川対岸鉄砲洲の本湊(てつぽうずのほんみなと)町に対して東湊町と称した(正保事録)。寛文新板江戸絵図には「東ミなと丁」「同二丁メ」と記されている。町地は霊岸島川口町南裏と、その南、亀島川に沿って北西から南東へ続く部分の二区画からなる。安永三年小間附町鑑によれば小間は二二四間四尺八寸、うち京間七間三尺八寸・田舎間二一六間三尺五寸。公役金を納める。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by