材木を売買する店。12世紀、京都・堀川に材木商人が集住したのをはじめ、13世紀には堀川、木津、または関東鎌倉和賀江津(わかえつ)に材木座(木屋座)を設けるなど、水運の便のよい消費地で、材木商いはおこった。やがて、仲継取引の問屋が生まれた。16世紀には仲買が現れ、17世紀の材木屋は近世のそれにつながる。このように、近代の材木流通は問屋・仲買・小売りで成り立ち、江戸の材木問屋は最初仲買と小売りを兼ねたが、やがて分化した。18世紀には生産地別・材種別に分かれ、林産地と直(じき)取引をする例もみられた。材木商人の集住地は木場(きば)とよばれた。小売商店は、大割・小割を提供するために、何人かの大鋸引(おがひき)(木挽(こびき))を、集荷した材木を移動させるために筏(いかだ)師(川並鳶(かわなみとび))を抱えていた。小売りの材木屋は各地に散住していた。建築は大半が請負仕事であり、大工棟梁(とうりょう)や請負師は材木屋からそれぞれ仕事を委託された。
20世紀に入るとベニヤ板が材木屋の主要取引商品となった。現代では、木材一般の国産物は衰退し輸入材が増大した。
[遠藤元男]
『秋永芳郎著『江戸東京木場の歴史』(1975・新人物往来社)』