日本大百科全書(ニッポニカ) 「東福寺文書」の意味・わかりやすい解説
東福寺文書
とうふくじもんじょ
京都市東山区にある東福寺に伝存している文書。平安末期から幕末維新期に及ぶもので、当寺の性格をよく伝える。文書の種類は多岐にわたっている。まず禅宗寺院らしく秉払(ひんぽつ)・問禅の差定(さじょう)・疏(しょ)・榜(ぼう)類をはじめ、僧籍簿がほぼ完全に保存されている。次に開山円爾(えんに)の禅密兼修の宗風を反映して密教の印信(いんしん)・血脈(けちみゃく)類を伝えている。これは長楽寺(群馬県太田市世良田町(せらだちょう))などにも通ずる特徴である。また円爾が入宋(にっそう)経験をもつことから、中国との往来を示す文書があり、無準師範(ぶじゅんしばん)自筆の印可状や宗派図、大宋諸山図、ことに円爾が渡航に際して整えた度縁(どえん)や戒牒(かいちょう)は、古文書学上貴重な遺例である。大道一以(1292―1370)の筆になる普門院蔵書目録は、当時招来された宋・元代の新しい学風を示す好個の史料である。さらに当寺は禅宗寺院のうちではもっとも多く荘園(しょうえん)を領有していたので、寺領に係る文書も少なくない。そのなかには開基檀越(だんおつ)の九条道家(くじょうみちいえ)の伝領を示すものも含まれる。現在『大日本古文書 家わけ20』として『東福寺文書』5冊が刊行されている。
[田中博美]