鎌倉中期の臨済(りんざい)宗の僧。姓は平氏。駿河(するが)(静岡県)の人。初め円爾房と称し、のち円爾を諱(いみな)とした。別に弁円ともいう。建仁(けんにん)2年10月15日に生まれる。5歳で久能山(くのうざん)尭弁(ぎょうべん)に師事し、以後天台教学を学び、18歳で園城寺(おんじょうじ)にて落髪、東大寺で受戒した。その後、上野(こうずけ)(群馬県)長楽寺(ちょうらくじ)の栄朝(えいちょう)(1165―1247)、鎌倉寿福寺の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)(1163―1241)の2師から禅旨(ぜんし)を受け、1235年(嘉禎1)神子栄尊(しんしえいそん)(1195―1273)と入宋(にっそう)する。癡絶道冲(ちぜつどうちゅう)(1169―1250)、笑翁妙堪(しょうおうみょうたん)(1176―1247)、石田法薫(せきでんほうくん)(1171―1245)などに歴参後、径山(きんざん)(浙江(せっこう)省)万寿寺の無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣(つ)いで、1241年(仁治2)帰朝した。筑前(ちくぜん)(福岡県)崇福寺(そうふくじ)、承天寺(しょうてんじ)の2寺で禅宗を唱え、まもなく藤原(九条)道家の招きで上洛(じょうらく)、北条時頼(ほうじょうときより)の帰依(きえ)を受け、京と鎌倉を往復し、建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)とも交流があった。1255年(建長7)道家建立の東福寺開山となり、のち寿福寺、建仁寺に歴住し、1269年(文永6)東大寺大勧進(だいかんじん)となった。天皇、上皇をはじめ、東西の道俗の帰依を受け、禅法と宋学を説き、弘安(こうあん)3年10月示寂。聖一国師(しょういちこくし)の号を賜る。『聖一国師語録』『聖一国師法語』各1巻がある。無関普門(むかんふもん)、東山湛照(とうざんたんしょう)(1231―1291)、白雲慧暁(はくうんえぎょう)(1223―1298)、無住道暁(むじゅうどうぎょう)など、多くの弟子が五山禅林で活躍した。
[中尾良信 2017年5月19日]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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…鎌倉中期の臨済宗の僧。字は円爾(えんに)。諡(おくりな)は聖一(しよういち)国師。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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