東遅沢村(読み)ひがしおそざわむら

日本歴史地名大系 「東遅沢村」の解説

東遅沢村
ひがしおそざわむら

[現在地名]西那須野町東遅沢

蛇尾さび川右岸に位置し、南は関根せきね村、西は西遅沢村・上井口かみいぐち村。天正一八年(一五九〇)大田原晴清が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「中ノ内、遅沢」一一六石四斗余がみえ、また富山とみやま高柳たかやなぎ南郷屋みなみごうや中内なかうち笹沼ささぬま(現黒磯市)とともに三二石五斗余ともある(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。以後大田原藩領。慶安郷帳では西遅沢村のみみえ、寛文四年(一六六四)の大田原藩領知目録に東遅沢村とある。天明八年(一七八八)の大田原藩領地目録(益子孝治文書)には東遅沢・西遅沢の二村がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む