日本歴史地名大系 「東阿倉川村」の解説 東阿倉川村ひがしあくらがわむら 三重県:四日市市中部地区東阿倉川村[現在地名]四日市市阿倉川(あくらがわ)町・東阿倉川・万古(ばんこ)町・三ッ谷(みつや)町・三ッ谷東(みつやひがし)町海蔵(かいぞう)川の北岸に位置し、村の東を東海道が通る。西は西阿倉川村、北は垂坂(たるさか)山の丘陵。「神鳳鈔」に「内宮飽良河御厨十五丁、各三石、六九十二月」とある。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写にも「壱石 長とく あくら川」とあって、神宮領がこの頃まで存在したことが知られる。同一二年頃の織田信雄分限帳によれば、水野三蔵・安井甚九郎が、それぞれ一五〇貫文を「あくら川 者満(はま)一色内」で知行している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by