東高篠村(読み)ひがしたかしのむら

日本歴史地名大系 「東高篠村」の解説

東高篠村
ひがしたかしのむら

[現在地名]満濃町東高篠・羽間はざま

四条しじよう村の北、土器どき川両岸の平地に立地する。伏流水の多い低地で、古代には篠が高く生茂る河原だったので高篠とよんだという。羽間の安造田あそだは群集古墳地帯で、現在も横穴古墳が多く残っており、西にし山山麓にも横穴古墳の跡が多く残っている。「和名抄那珂なか郡高篠郷の遺称地。応永一二年(一四〇五)一〇月二九日の足利義満御教書(写、長門細川家文書)で細川頼重に安堵された細川頼之闕所分に「高篠郷一分地頭職」があり、この一分地頭職は同一五年一二月二〇日の足利義満御教書(写、同文書)で子の氏久に、長禄四年(一四六〇)五月一八日には足利義政御教書(写、同文書)で氏久の子勝久に安堵されている。年未詳の実報院諸国旦那帳(熊野那智大社文書)に「たかしの和泉殿引一円」があり、応永一四年三月晦日の有慶売券(同文書)で明尊へ売却された先達旦那の在所に「高しの」がみえ、長禄六(五か)年二月一四日の快什譲状(同文書)に記す道者在々所々に「たかしのゝ(郷カ)名字・地下一円」がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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