東黒川
ひがしくろかわ
近世には若松城下の周囲にある町分のうち、東から南にあるものの総称で、上河原分・八角分・蚕養宮村・千石町分・南町分・材木町分を含んでいた。若松城下に町分が定められたのは蒲生氏の時代と考えられているが、明確にする史料に乏しい。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録の門田郡に東黒川とあり、高九六〇石余。貞享二年(一六八五)の「会津郡東西黒川分覚書」では「本田新田共」で高三千三〇石余。文化一五年(一八一八)の村日記では高三千三三三石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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