日本歴史地名大系 「杵渕村」の解説 杵渕村きねぶちむら 長野県:長野市篠ノ井地区杵渕村[現在地名]長野市篠ノ井杵渕千曲川を挟んで松代(まつしろ)町と対し、北は西寺尾(にしでらお)村、西は東福寺(とうふくじ)村に接する。千曲川に沿って南から杵渕・荒堀(あらぼり)・水沢(みずさわ)の集落が並んでいる。杵渕の地名は千曲川べりの地形から出たといわれる。「源平盛衰記」「平家物語」の横田河原軍事のくだりには、養和元年(一一八一)六月一四日「富部力朗等杵渕小源太重光」なる者が、主君富部三郎家俊の敵、西七郎を討ち取った後、馬上から太刀を口に含んで飛び降り自害し果てたとある。また、佐久郡川辺(かわべ)村(現佐久市大久保(おおくぼ))の布引山釈尊(しやくそん)寺蔵の元亨元年(一三二一)一一月一八日「大般若経奥書」には「於信濃国更級郡富部御厨、杵渕郷、書写畢」とあって鎌倉末期の杵渕郷は富部(とんべ)御厨のうちにあったことを示している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by