朝日日本歴史人物事典 「松原清介」の解説
松原清介
生年:元禄4(1691)
長州(萩)藩宝永7(1710)年一揆の指導者。周防国(山口県)吉敷郡長野村の庄屋市六の子。7年12月,長州藩重臣益田家の知行地長野村の農民52人は,税の軽減などを訴え,益田家の萩屋敷に直訴しようとして,山口で代官所役人に止められた。清介は常田角左衛門と共に,発頭人として車連判状の作成に当たり,山口代官所へ訴えたのち,萩で取り調べが行われた。その結果益田氏の悪政がわかり,願いは聞き届けられ,益田家は逼塞,領地替となったが,発頭人のふたりは死罪。清介は21歳,角左衛門は19歳であった。のち義民として祭られ,現在,石仏に戒名を彫った祠堂および二義少年の石碑がある。<参考文献>毛利家文庫「大記録」(『編年 百姓一揆史料集成』2巻)
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報