日本歴史地名大系 「吉敷郡」の解説
吉敷郡
よしきぐん
山口県の中央部やや西寄り南部に、三町が三ヵ所に分散して位置する。
郡名の初見は「続日本紀」天平二年(七三〇)三月一三日条に「周防国熊毛郡牛島西汀、吉敷郡達理山所出銅、試加冶練、並堪為用、便令当国採冶、以充長門鋳銭」とみえる。また平城宮出土木簡の天平二年九月の年号のあるものに「吉敷郡」の名がみえ、天平一七年九月八日付のものには「周防国吉敷郡神埼郷戸主阿曇五百万呂口同部」「□麻呂進上調塩一斗」などの文字がみえる。なお正倉院文書の天平勝宝九年(七五七)西南角領解に「周防国余色郡」と記される。「和名抄」の訓に「与之岐」とあるように「よしき」と訓じたゆえに余色の字があてられたものと思われる。
近代以前の吉敷郡の郡域は、現吉敷郡・山口市域に加えて、
〔原始〕
周防灘を望む海岸沿いの台地には早くから人が住んだらしい。現山口市域に属する
美濃ヶ浜の対岸、阿知須町域では海岸部から少し離れた丘陵地
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報