松山保(読み)まつのやまほ

日本歴史地名大系 「松山保」の解説

松山保
まつのやまほ

現東頸城郡東部に所在した保。東頸城丘陵を流れる渋海しぶみ川の狭く雪深い谷々からなる。謡曲「松山鏡」の舞台で「越後の国松の山家」として現れる。建武四年(一三三七)四月二一日の足利尊氏下文(仁木文書)によれば、右馬権頭義時跡の「越後国松山保」などの地頭職を仁木義有に宛行っている。その後当保は室町将軍の近臣伊勢氏の直務所領となった。文亀二年(一五〇二)一二月伊勢盛種知行の松山保を越後守護上杉房能の家臣長尾輔景が奪ったとして、幕府からその還付を命じられた(「将軍足利義澄御内書」公方様御内書御案文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む