精選版 日本国語大辞典 「松崎観海」の意味・読み・例文・類語 まつざき‐かんかい【松崎観海】 江戸中期の儒学者、漢詩人。丹波国(兵庫県)の人。名は惟時。字は君修、子黙。通称才蔵。観瀾の子。太宰春台に師事するかたわら、高野蘭亭に詩を学び、蘭亭門の五子筆頭をうたわれた。父を継いで篠山藩に仕え、執政に進んだ。著に「観海集」など。享保一〇~安永四年(一七二五‐七五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「松崎観海」の解説 松崎観海 没年:安永4.12.23(1776.1.14) 生年:享保10.5.4(1725.6.14) 江戸時代中期の漢学者。丹波(兵庫県)篠山の人。名は惟時,字は君修,通称は才蔵。観海と号す。父は儒学者で篠山藩士の松崎観瀾。幼いころから父に就いて学問を学ぶ。13歳のとき江戸に出て,儒学を太宰春台 に詩文を高野蘭亭に師事し,また文弱となることを嫌い,剣術を武藤良夫に学んだ。延享3(1746)年父の退隠によって家督を嗣ぎ,篠山藩(のちに丹波亀山に移封)に出仕,晩年は家老の待遇を受けた。経学,詩文とも名声が高く,一藩の藩士という制限がありながら,その門に集う者はあとを断たなかった。<著作>『観海先生集』 (高橋昌彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松崎観海」の解説 松崎観海 まつざき-かんかい 1725-1776* 江戸時代中期の儒者。享保(きょうほう)10年5月4日生まれ。太宰(だざい)春台,高野蘭亭(らんてい)にまなぶ。父松崎白圭(はくけい)の跡をついで丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)松平家(寛延元年丹波亀山(京都府)に移封)につかえ,家老にすすんだ。安永4年12月23日死去。51歳。名は惟時(これとき)。字(あざな)は君脩。通称は才蔵。詩文集に「観海集」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「松崎観海」の解説 松崎観海 (まつざきかんかい) 生年月日:1725年5月4日江戸時代中期の漢学者1776年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報