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篠山藩 ささやまはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

篠山藩
ささやまはん

江戸時代,丹波国多紀郡篠山地方 (兵庫県) を領有した藩。慶長 13 (1608) 年に松平 (松井) 康重が常陸 (茨城県) 笠間から5万石で入封して以来,松平 (藤井) 信吉5万石,松平 (形原) 康信5万石で在封,寛永1 (24) 年青山忠朝が亀山から5万石で入封して以来,青山氏が幕末まで継続。

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百科事典マイペディアの解説

篠山藩【ささやまはん】

丹波(たんば)国篠山(現,兵庫県篠山市)に藩政庁を置いた譜代(ふだい)の藩。1608年近くの八上(やかみ)城に入封(にゅうほう)した松平(松井)康重が翌年篠山に築城,そのあと松平(藤井)2代,松平(形原(かたのはら))5代,青山氏6代が篠山城を政庁として幕末に至った。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

ささやまはん【篠山藩】

江戸時代丹波(たんば)国多紀(たき)郡篠山(現、兵庫県篠山市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は振徳堂(しんとくどう)(のち養正斎(ようじょうさい)、成始斎(せいしさい)を増設)。1608年(慶長(けいちょう)13)に丹波国八上(やかみ)藩に5万石で入った松平(松井)康重(やすしげ)に対し、幕府はその翌年、西国諸大名の押さえとするために新城の建設を命じた。築城は諸国大名の手伝いで年末までに完成、篠山城と名づけて康重が5万石の初代城主となった。康重は藩政の基礎を固めたが、19年(元和(げんな)5)に和泉(いずみ)国岸和田藩へ移封(いほう)となり、以後、松平(藤井)氏2代、松平(形原(かたのはら))氏5代と続き、1749年(寛延(かんえん)2)に青山忠朝(ただとも)が入った。以後明治維新まで青山氏が6代続いた。初代忠朝は儒学者を登用して藩校振徳堂を創設、4代忠裕(ただやす)は老中までのぼり、その功で1万石の加増を受けた。1871年(明治4)の廃藩置県で篠山県となり、その後、豊岡(とよおか)県を経て76年兵庫県に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ささやまはん【篠山藩】

丹波国多紀郡篠山に藩庁を置いた譜代の藩。1608年(慶長13)八上城に入封した松平(松井)康重が,翌年篠山に平山城を築いて篠山城と名づけ初代城主となった。以後松平(藤井)氏2代,松平(形原)氏5代,青山氏6代が相継いだ。石高は当初5万石であったが,老中を30年務めた青山忠裕(ただやす)が功として1827年(文政10)1万石加増された。藩主はいずれも徳川譜代の大名で,幕府の要職に就く者が多かったため出費がかさみ,重税に対する農民の不平が一揆となって16件も発生している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

篠山藩
ささやまはん

丹波(たんば)国篠山(兵庫県篠山市)地方を領有した藩。この地方は、篠山築城以前は八上(やかみ)城に前田茂勝(しげかつ)(玄以(げんい)二男)、松平(松井)康重(やすしげ)がいた。康重入部の翌年1609年(慶長14)幕府は篠山に築城を命じた。西南15か国20大名に普請(ふしん)手伝いを命じて年内に完成し、康重は12月に新城に移った。以後、1619年(元和5)松平(藤井)信吉(のぶよし)、49年(慶安2)松平(形原(かたのはら))康信(やすのぶ)、1749年(寛延2)青山忠朝(ただとも)が入部した。康重以来知行(ちぎょう)高はいずれも5万石であったが、青山忠裕(ただやす)が老中を勤めた功で1万石を加増された。藩主のなかには、藩校振徳堂を開設(青山忠高(ただたか))したり、文芸を奨励する者もあったが、領内民政を軽んじ、ために百姓の一揆(いっき)に及ぶこともしばしばであった。とりわけ18世紀に多発した一揆は、1771年(明和8)の一揆でいちおう鎮静したかにみえたが、村方騒動的様相に変わり、最後に1860年(万延1)大一揆となった。茶と立杭(たちくい)焼は藩の専売となった時代があった。1871年(明治4)廃藩、篠山県、豊岡(とよおか)県を経て76年、兵庫県に編入された。[中嶋利雄]

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