松平正綱(読み)まつだいらまさつな

改訂新版 世界大百科事典 「松平正綱」の意味・わかりやすい解説

松平正綱 (まつだいらまさつな)
生没年:1576-1648(天正4-慶安1)

徳川家康側近。幼名長四郎,正久,右衛門佐のち右衛門大夫。大河内秀綱次男で,1587年(天正15)家康の命により長沢松平正次の養子となる。のち駿府で板倉重昌,秋元泰朝とともに家康の近習出頭人(きんじゆしゆつとうにん)となり,勘定頭を兼ねる。家康の遺言を聞き,久能山埋葬,日光遷葬に供奉。1625年(寛永2)2万2100石余に加増,相模甘縄城主となる。日光山廟塔普請や祭礼法会の奉行をたびたび務め,日光杉並木を寄進した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平正綱の言及

【勘定奉行】より

…元禄ごろまでは勘定頭と称したが,その成立の経緯は必ずしも明らかでなく,幕府成立当初は老中が勘定奉行の職務を兼ね,実質は大久保長安や伊奈忠次がこれに近い役割を果たしていたようである。その後1609年(慶長14)松平正綱が会計の総括を命じられ,15年(元和1)奉書連署,諸士支配とともに勘定奉行兼務を命じられた。30年(寛永7)曾根吉次は関東勘定頭,ついで36年惣勘定頭となった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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