新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松本竜助」の解説
松本 竜助
マツモト リュウスケ
- 職業
- タレント
- 本名
- 松本 稔(マツモト ミノル)
- 別名
- 旧芸名=松本 竜介
- グループ名
- 旧コンビ名=紳助・竜介(シンスケリュウスケ)
- 生年月日
- 昭和31年 4月6日
- 出生地
- 徳島県
- 出身地
- 大阪府 大阪市都島区
- 学歴
- 都島工卒
- 経歴
- 昭和50年なんば花月で進行係をしていた時、明石家さんまの紹介で島田紳助と出会い、漫才コンビ“紳助・竜介”を組む。リーゼントの髪形に揃いのつなぎ服姿の“ツッパリ漫才”で漫才ブームの波に乗り、一世を風靡した。57年ツービートのビートきよし、B&Bの島田洋八と“うなづきトリオ”を結成、大滝詠一作詞・作曲・プロデュースでシングル「うなずきマーチ」をリリース。同年NHK「人形劇三国志」に進行役として出演、劇中にも紳々・竜々として登場した。60年コンビを解消、竜助に改名。以後は単独でタレント活動を続ける傍ら、広告代理店、喫茶店、イベント会社、居酒屋、アダルトビデオ制作などのサイドビジネスを手がけるが、平成10年約1億2000万円の負債を抱え自己破産した。破産後は大阪市内の案内業務をする店で店長を務める一方、新聞詠みの河内家菊水丸に弟子入りして河内家ピンポン丸を名乗り、14年には長男とM-1グランプリに出場。18年脳出血で倒れ、49歳で急逝した。主な出演にテレビ「オレたちひょうきん族」、映画「ガキ帝国」「借王」、Vシネマ「攻略王III」「借金地獄」など。著書に「うそどりの志」がある。一方、卓球をメジャーなスポーツにしようと実業団選手に交じりトレーニングに励み、3年幕張メッセで開かれた世界卓球選手権では竜助コーナーを開設するなど卓球をアピールした。
- 没年月日
- 平成18年 4月1日 (2006年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報