日本歴史地名大系 「松樹郷」の解説
松樹郷
まつのごう
「和名抄」には記載がないが、天平七年(七三五)の紀年銘のある平城京(二条大路大溝)跡出土の荷札木簡にみえる。「安房国安房郡松樹郷小坂里戸大伴部高根輸鰒調陸斤条伍拾伍条 天平七年十月」「安房国安房郡松樹郷御井里戸白髪部富□輸鰒陸□ 七年十月」の二点で、郷里制下の当郷に小坂里・御井里があり、大伴部・白髪部の部姓を名乗る者がおり、調鰒を貢納していた。さらに古く藤原宮跡から「己亥年十月上挟国阿波評松里」と記した木簡が出土しており、大化改新後の評里制が大宝律令の直前まで行われていたことを示すもので、いわゆる郡評論争に決着をつけた木簡として著名である。評里制は大宝律令制定後、郡里制から郡郷里制、そして郡郷制へと変わり、安房国が上総国から分置・新設されるのが養老二年(七一八)であり、また和銅六年(七一三)諸国の郡郷名に好字を用いるよう命じるなどの嘉字二字政策が発令されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報