日本歴史地名大系 「松永新田」の解説 松永新田まつながしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村松永新田[現在地名]木曾岬村源緑輪中(げんろくわじゆう)・松永白鷺(はくろ)川の南岸沿いの村で、対岸には福崎(ふくさき)新田・豊崎(とよさき)新田がある。元禄四年(一六九一)の開発で、正徳四年(一七一四)の大風雨で亡所となった(木曾岬村史)。「長島新田墨引絵図(三番)」(徳川林政史蔵)にも南の海中に「松永新田亡所」と記入されている。その後文化四年(一八〇七)尾張国海西(かいさい)郡(現愛知県海部郡)の松永治郎左衛門が再開発した(木曾岬村史)。開発後の松永新田は白鷺川を隔てて北と南に分れたと思われ、天保郷帳には一六九石余と二四五石余の両方が記されている。 松永新田まつながしんでん 埼玉県:北埼玉郡大利根町松永新田[現在地名]大利根町松永新田杓子木(しやくしぎ)村の西に位置する。慶長年間(一五九六―一六一五)に杓子木村の村民が開発したという(風土記稿)。田園薄では松長新田、元禄郷帳では松永新田村とみえる。田園簿によると、田高八六石余・畑高一一九石余、幕府領。元禄郷帳では一六七石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本松平領で、幕末まで同領として続いたと考えられる(天保三年「羽生領御普請組合村高地頭性名帳」栗原家文書、旧旗下相知行調など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報