松田長秀(読み)まつだ・ながひで

朝日日本歴史人物事典 「松田長秀」の解説

松田長秀

没年永正14.8(1517)
生年:生年不詳
室町時代の幕府吏僚。幕府右筆松田秀藤の子。通称八郎。左衛門尉,左衛門大夫,丹後守。文明10(1478)年ごろより幕府に出仕,右筆方奉行人となり,御的方,御祝方,椀飯方の各奉行を歴任。また東大寺,北野社,林光院,地蔵院,香厳院など寺社の別奉行を兼任,累進して引付衆,政所執事代に上った。永正5(1508)年4月の政変で将軍足利義澄,細川澄元没落したのに伴いほとんどの奉行人が没落または更迭されたなかにあって,彼ひとり新政権下に引き続き出仕した事実は,その能吏ぶりが余人に替え難かったことを示しているといえよう。

(今谷明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田長秀」の解説

松田長秀 まつだ-ながひで

?-1517 室町-戦国時代の幕府官僚。
右筆方(ゆうひつかた)奉行人,政所(まんどころ)執事代などをつとめる。永正(えいしょう)14年8月死去。通称は八郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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