右筆方(読み)ゆうひつかた

改訂新版 世界大百科事典 「右筆方」の意味・わかりやすい解説

右筆方 (ゆうひつかた)

中世の武家職制の一つ。室町幕府の法曹官僚集団をいう。奉行人とも称する。室町幕府鎌倉幕府に引き続き,引付という裁判機構の中に文書事務官僚である右筆を置いたが,南北朝末期に引付の制度がくずれると恩賞方御前沙汰ともいう)に右筆を集中し,将軍臨席の下に裁許を行う裁判制度を始めた。これらの右筆は飯尾,斎藤,松田,清(せい),布施(ふせ),治部(じぶ)などの諸氏で,鎌倉幕府初期の公事奉行人である三善,太田氏らの末裔が多い。これらの家格は15世紀になるとまったく固定化し,上記以外の武士はいかに能筆でも奉行人になることは不可能であった。ところで幕府奉行人の中には,文筆事務とはやや異なる御庭奉行(千秋せんじゆう)氏),御物奉行(伊勢氏,蜷川氏),作事奉行(結城氏)など,主として将軍家家産を扱う官僚層があり,これらは右筆とは呼ばれない。また前記恩賞方に加わりうるのは右筆すべてではなく,その内の練達者であって,それらは御前奉行人(ごぜんぶぎようにん)と呼ばれたように,将軍に直接面謁でき,江戸期の御目見(おめみえ)に相当する。御前奉行人は常時約20名内外で,右筆全体では40名余,御物奉行などを加えると60人に達した。

 御前奉行人の役割としては,将軍臨席下の法廷である恩賞方において裁許事務にたずさわり,将軍の諮問に応じて意見状と呼ばれる判決原案を作成,将軍の裁可を経て判決書である裁許状を交付した。今日残存している室町幕府の公的発給文書である御教書,奉書はすべてこの右筆の手にかかるが,ただ将軍の私信の形式をとる御内書のみは,政所執事伊勢氏や政所代(まんどころだい)蜷川氏らの手に成ると推定されている。なお幕府の意見状は,15世紀前半までは朝廷・公家関係の内容は伝奏(てんそう)と称される公家衆に諮詢され,武家関係の案件でも右筆方より上位に当たる評定衆の意見状,また守護・探題などの最高人事や軍機密になると有力大名で構成される宿老の意見状をもって将軍の判断に資することとされていた。しかし嘉吉の乱から応仁の乱にかけて,右筆方の権限が増大してくると,評定衆,伝奏の意見状は皆無となり,応仁の乱後はもっぱら右筆方が幕府の最高諮問機関となった。

 なお〈右筆方〉なる用語は,あくまで意見を徴する法曹集団の称であって,政所,侍所などの独立の部局ではなく,したがって執事(長官)や開闔(かいこう)・執事代(次官)などのポストは独立して存在しない。当時の用例をみても,評定衆に対応する下級事務官僚の集合体として使われている場合と,意見機関を構成するメンバーとして称されている場合がある。後者の場合は前者の一部分,すなわち御前奉行を指す。また右筆各人は政所,侍所,神宮方,地方(じかた)などの各部局にも配属され,〈政所寄人(よりうど)〉などと称されて区別された。要するに彼ら奉行人は,機会に応じて意見機関に集められるとともに,平常は各部局の寄人としての地位を保っており,執事代,開闔が彼らの到達しうる最高ポストであった。意見機関としての右筆方は,戦国末期,幕府滅亡時まで存続していた。
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