板橋城(読み)いたばしじよう

日本歴史地名大系 「板橋城」の解説

板橋城
いたばしじよう

「風土記稿」によると、城跡は上板橋村に所在したとされるが、化政期においてもその旧跡は不明であったという。現在も考古学的調査は行われず、実態は不詳であるが、現東山ひがしやま長命ちようめい寺付近や稲荷台の日暮里いなりだいのにつぽり(加賀小学校付近)など諸説がある。中世の板橋は板橋氏が領有しており、旧上板橋・下板橋地域には惣領家を含めた庶家が展開し、それぞれ屋敷を構えていたと考えられる。大永四年(一五二四)一月一三日、北条氏綱の江戸城攻略によって、同城から退去した扇谷上杉朝興は板橋を目指すが、当地の板橋某・市太夫が討死し、朝興は河越かわごえ(現埼玉県川越市)へと向かっている(異本「小田原記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

冬に 4日間暖かい日が続くと 3日間寒い日が続き,また暖かい日が訪れるというように,7日の周期で寒暖が繰り返されることをいう。朝鮮半島や中国北東部の冬に典型的な気象現象で,日本でもみられる。冬のシベリ...

三寒四温の用語解説を読む