板部城跡
いたべじようあと
[現在地名]北茂安町大字中津隈字板部
中世、板部氏の居城跡。「板部北部の松林にあって二重に塹濠がまわり、その牙城と思われるところに土塁がある」(北茂安村誌)と最近までその遺構が認められたが、いまは消滅。
板部氏は板部に本拠をおいた豪族で、貞和六年(一三五〇)には中津隈庄(現北茂安町)内・西島郷(現上峰村・三根町)内・矢俣保(現三根町)内・筑後国三潴庄(現福岡県三潴郡)内において、それぞれ所領をもち(光浄寺文書)、同年、光浄寺(現三根町)へ広大な寺領を寄進している(同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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