板野郡(読み)いたのぐん

日本歴史地名大系 「板野郡」の解説

板野郡
いたのぐん

面積:一七八・七六平方キロ
松茂まつしげ町・北島きたじま町・藍住あいずみ町・板野いたの町・上板かみいた町・吉野よしの町・土成どなり

県の北東部、吉野川下流左岸に位置する。古代以来の郡であるが、鎌倉時代前期までに板東ばんどう(坂東)板西ばんざい(坂西)の二郡に分割され、寛文四年(一六六四)に両郡が合併し再置された。近世の板野郡は南は名東みようどう郡・名西みようざい郡・麻植おえ郡、西は阿波郡、北は讃岐国大内おおうち郡に接し、北東は鳴門海峡を挟み淡路島に面していた。大きく吉野川流域の農村地帯と鳴門海峡に臨む東部の鳴門地方に分けられる。現在は郡の南東部が徳島市、北東部が鳴門市となったため、郡域東部は徳島・鳴門両市に挟まれて東西に細長く、南は徳島市のほか、名西郡石井いしい町・麻植郡鴨島かもじま町に、北は鳴門市のほか、香川県大川おおかわ引田ひけた町・白鳥しろとり町に接し、西は阿波郡市場いちば町に続く。なお近代以降名西郡・麻植郡・阿波郡との間で一部境界変更があった。郡域南端付近を吉野川が東流する。郡域東部では同川の北側を吉野川の分派川であった今切いまぎれ川、かつて吉野川の本流であった旧吉野川などが東流し、紀伊水道に注ぐ。これら河川の流域には吉野川(徳島)平野が広がる。

〔原始〕

現郡域は吉野川と阿讃あさん山脈に挟まれるように立地しており、その支流として流れる小河川沿いに形成された多くの河岸段丘や微高地に遺跡が分布している。郡内では現在のところ約一五〇を超える遺跡が存在している。最も古い遺跡は旧石器時代後半期の遺跡で、土成町しいまる芝生しぼう遺跡・金蔵こんぞう上井うわえ遺跡などが調査されている。縄文時代の遺跡では集落遺跡と考えられるものに土成町の西谷にしたに遺跡・前田まえだ遺跡などがあげられるが、土坑が数基確認されているのみで、集落の内容を把握するには至っていない。時期別にみると草創期から晩期まで遺跡は存在しているが、遺物量が増えるのは中期以後である。また旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡はおもに段丘上に立地するものが多いが、晩期になると板野町黒谷川郡頭くろだにがわこおず遺跡にみられるように、沖積地の微高地上にまで分布が広がる。弥生時代の遺跡は集落跡を中心として調査が進められている。時期は中期末から後期後半にかけての遺物が中心で、土成町前田遺跡・北原きたはら大法寺だいほうじ遺跡などが段丘上に存在している。黒谷川郡頭遺跡は後期後半から終末期にかけての集落遺跡で、水銀朱の精製を行った痕跡が確認されている。西に近接する板野町黒谷川宮くろだにがわみやまえ遺跡では後期後半の水田跡が確認されている。古墳時代になると段丘上の尾根筋を中心として多くの古墳が造られるようになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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