林屋友次郎(読み)はやしや ともじろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林屋友次郎」の解説

林屋友次郎 はやしや-ともじろう

1886-1953 大正-昭和時代の実業家,仏教学者。
明治19年5月15日生まれ。大正4年東京鋼材社長。15年社長を辞任し,昭和17年まで駒沢大教授をつとめる。仏教について実践的な研究解釈をおこなった。昭和28年12月21日死去。67歳。石川県出身。慶応義塾卒。著作に「経録研究」「異訳経類の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の林屋友次郎の言及

【王朝交替論】より

…かつて津田左右吉が,《古事記》《日本書紀》には,仲哀天皇と応神天皇の間で一つの段落があり,仲哀以前は天皇の系譜が父子相承となっていたり,天皇の称号だけで諱(いみな)を欠いているなど,実在性に乏しく,6世紀の帝紀(ていき)に記されていたのは,応神より後の天皇であろうとしたことにはじまる。その後,林屋友次郎によって,〈応神新王朝論〉が説かれ,応神以前の天皇は存在しないとされ,水野祐は,仲哀以前を〈古王朝〉,応神以後を〈中王朝〉とし,邪馬台国と戦った狗奴国が東遷して,この〈中王朝〉を形成したと考え,いわば江上波夫が,大和の王朝を騎馬民族の征服によって生まれたとした騎馬民族説をさらに進め,〈ネオ騎馬民族説〉とでもいうべきものを主張した。他方で,〈古王朝〉は大和三輪にあり,〈中王朝〉は河内に成立し,河内王朝が三輪王朝を征服したという説もあらわれた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」