朝日日本歴史人物事典 「林良適」の解説
林良適
生年:元禄8.10.23(1695.11.29)
江戸中期の幕府医官。名は完煕,通称は良二のち良適,号は楽軒。官医伴道与の次男。江戸の人。林良喜の養女の婿養子として家を継ぐ。小石川養生所出役を経て享保11(1726)年御番医師。庶民のための民間療法を集めた『官刻普救類方』を丹羽正伯と共に編し,将軍徳川吉宗の命により『馬経大全』を和解した。また江戸参府のオランダ商館医から製薬油法の伝授を受け,梅花,菊花,丁子の油を製して幕府に献上した。江戸で没し,四谷・理性寺(新宿区のち杉並区に移る)に葬られた。<参考文献>宗田一「紀州から江戸入りした吉宗の侍医たち」(『医薬ジャーナル』27巻7号),小曾戸洋「幕府医官・林恒斎とその子孫」(『漢方の臨床』38巻6号)
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報