朝日日本歴史人物事典 「丹羽正伯」の解説
丹羽正伯
生年:元禄4(1691)
江戸中期の本草学者。伊勢国松坂(三重県松阪市)の医師丹羽徳応の長子。母は佐与。幼名徳太郎。元機,貞機を名乗り,称水斎 と号す。正伯は通称。京都に出て稲若水 に医学,本草学を学ぶ。享保2(1717)年江戸へ下り医師を開業。江戸幕府が輸入薬種を国内産に切り替えようとしていた時期で,幕命により採薬使(正伯がその第1号)として各地に薬種を求め,さらに下総国(千葉県)に15万坪を下付され薬草園を経営した。また朝鮮の『東医宝鑑』の和訳,朝鮮人参の栽培,和薬種流通の管理など和薬種の開発・定着のため先駆的役割を果たした。師の若水が未完のまま遺した『庶物類纂』の補完を享保17年将軍徳川吉宗より命じられ,後編638巻(1738)と増補54巻(1747)を完成させた。並行して全国諸領の『産物帳』の編纂も進めたが,これは領ごとに農作物,野生動植物,金石などの種類名を書き出させたもので,わが国初の生態調査として意義がある。作成の指示は正伯の独断で遂行された形跡がある。正伯の学識,人柄を誹謗する文書が2通伝えられているが,いずれも根拠に乏しい。著書からは高い見識がうかがわれるし,薬園のあった千葉郡滝台野(船橋市薬園台町)の村びとたちは没後百余年を経て正伯の徳をしのび供養碑を建てている。<著作>『官刻・普救類方』『救民薬方』『両東筆語』<参考文献>奥山市松「徳川中期に於ける本草学者丹羽正伯に就て」(『史蹟名勝天然記念物』12の4号),松島博「本草学者丹羽正伯の研究」(『三重県立大学研究年報』6の1号),安田健『江戸諸国産物帳―丹羽正伯の人と仕事』
(安田健)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報