丹羽正伯(読み)にわしょうはく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹羽正伯」の意味・わかりやすい解説

丹羽正伯(にわしょうはく)
にわしょうはく
(1700―1753)

江戸中期の本草(ほんぞう)学者伊勢(いせ)国(三重県)松阪の人。名は貞機。稲生若水(いのうじゃくすい)に本草を学び、1720年(享保5)幕府採薬使となって諸国を採薬した。1722年幕命により5都市の薬問屋と協議し、和薬改会所(わやくあらためかいしょ)を設置した。1732年8代将軍徳川吉宗(よしむね)の命により師若水の遺稿庶物類纂(しょぶつるいさん)』の編纂を補修し、後編638巻に6年を費やし、1738年(元文3)1000巻が完成した。1747年(延享4)には『庶物類纂補修』54巻を大成、3400種の庶物を記載した。幕命により一般向け解説書『普救類方』も著した。

[根本曽代子]


丹羽正伯(にわせいはく)
にわせいはく

丹羽正伯

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹羽正伯」の解説

丹羽正伯 にわ-しょうはく

1691-1756 江戸時代中期の本草家。
元禄(げんろく)4年生まれ。稲生若水(いのう-じゃくすい)にまなび,幕府採薬使として諸国をめぐる。和薬改(あらため)会所の設立,指導に貢献し,また師若水の「庶物類纂(しょぶつるいさん)」の増修をおこなった。宝暦6年4月14日死去。66歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。名は元機,貞機。字(あざな)は哲夫。号は称水斎。編著に「救民薬方」「普救類方」など。

丹羽正伯 にわ-せいはく

にわ-しょうはく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丹羽正伯」の意味・わかりやすい解説

丹羽正伯
にわせいはく

[生]元禄13(1700).伊勢,松坂
[没]宝暦2(1752).1. 江戸?
江戸時代中期の医家,本草学者。名は貞機。山脇玄修医学を,稲生若水に本草学を学び,儒学者並河天民とも交遊があった。享保7 (1722) 年幕府に出仕,稲生若水の『庶物類纂』を増修,完成させるとともに,諸国を巡遊し薬草採取,物産調査にあたった。また幕府の医官をつとめ,著書『普救類方』がある。

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