日本歴史地名大系 「柄沢城跡」の解説 柄沢城跡からさわじようあと 新潟県:五泉市柄沢村柄沢城跡[現在地名]五泉市柄沢 上ノ入山不動堂(ふどうどう)山の北西、大蔵(おおくら)川と不動堂川に挟まれた上(じよう)ノ入(いり)山(三〇一メートル)の頂上に通称城山(じようやま)がある。山頂は東西三〇間、南北二〇間の平地で、伝えによると城資長が築城し、部将を在城させたという。別名を御殿山(ごてんやま)城ともいい、「越後野志」には菅名孫三郎の居城と記される。「中蒲原郡誌」はこの両者の関係について、菅名(すがな)庄司の佐藤忠栄が雷山(いかずちやま)城(夏城)と御殿山城(冬城)を築き、後世になってこの庄司を城氏と訛伝したことから城氏の山城と伝えられるようになったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by