日本歴史地名大系 「柄沢村」の解説 柄沢村からさわむら 神奈川県:藤沢市柄沢村[現在地名]藤沢市柄沢・藤が岡(ふじがおか)二―三丁目境(さかい)川と柏尾(かしお)川との間の丘陵地に位置し、鎌倉郡に属した。北は関谷(せきや)村(現鎌倉市)、西は藤沢宿大鋸(だいぎり)町、南は弥勒寺(みろくじ)村・渡内(わたうち)村に接する。東西に鎌倉道が通る。「曾我物語」妙本寺本によれば源頼朝が武蔵入間野(いるまの)(現埼玉県入間市一帯)に向かう途中「柄沢」を通ったとみえる。正保国絵図に柄沢村とある。享保一三年(一七二八)より下野烏山藩領。検地は貞享元年(一六八四)幕府代官国領重次が実施。 柄沢村からさわむら 新潟県:五泉市柄沢村[現在地名]五泉市柄沢早出(はいで)川右岸、不動堂(ふどうどう)山の山麓に位置し、南は不動堂村に接する。正保国絵図に一〇〇石余とあり、村上藩領であった。貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳には高七九石余とある。宝永七年(一七一〇)幕府領、正徳元年(一七一一)高田藩領、のち白河藩領となり、文化年間(一八〇四―一八)の家数は一六(白川風土記)。 柄沢村からさわむら 秋田県:大館市柄沢村[現在地名]大館市柄沢大館盆地東端部、秋葉(あきば)山の西麓で大館町の東に位置する。大館舌状台地の付け根に位置するため、土地の起伏が多く畑地に富む。扇田(おうぎだ)(現北秋田郡比内(ひない)町)から北上して山麓沿いに大館に入る街道が通じる。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「柄沢村八軒」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by