日本歴史地名大系 「柱野村」の解説 柱野村はしらのむら 山口県:岩国市柱野村[現在地名]岩国市大字柱野錦(にしき)川の支流御庄(みしよう)川中流の沖積平野を中心に開けた村で、北は御庄、東は平田(ひらた)・六呂師(ろくろし)、南は叶木(かのうぎ)、西は近延(ちかのぶ)・廿木(はたき)の各村に囲まれる。東福(とうふく)寺(現京都市東山区)の大機院梅霖守竜が、天文一九年(一五五〇)山口に下向した時の「梅霖守竜周防下向日記」の九月二四日条に、「乗小船至防州尾方海上三里、賊船立場也即刻乗駄賃到柱野自尾方六里半」とあり、山陽道沿いの村であったことが知られる。村名の由来を「玖珂郡志」は分明ならずとしながら、森脇久有の説として「宿ノ名ヲ呼柱野、微路傍川行、遠ク聴、白雲裏丁々タリ伐木ノ声ト有テ、柱ニモナルベキ材木ヲ出ス故、尓云ト聞ケリ」といい、また郷民の説として「能キ矢ノ篦(の)出ル故ニ、羽矢良篦(はしらの)ト云」との説を紹介する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報