新撰 芸能人物事典 明治~平成 「柳家枝太郎」の解説
柳家 枝太郎(4代目)
ヤナギヤ エダタロウ
- 職業
- 落語家
- 本名
- 島田 信吉
- 別名
- 前名=三遊亭 右左喜,柳亭 茶楽
- 生年月日
- 明治10年 10月3日
- 経歴
- 初代三遊亭円右の門人となり右左喜を名乗って、明治33年初高座を踏む。のち4代目柳亭左楽門に転じ、茶楽から40年頃師の前名枝太郎を襲名。42年同名で真打昇進。柳派きっての音曲師として活躍。持ち前のリズム感と大津絵仕立てで聞かせる「両国八景」は大人気で両国の枝太郎と称された。ほかに「浮かれ三叟」「植木のお化け」などの音曲を売り物とした。昭和12年頃から体調をくずし高座を退く。温厚篤実の人柄のよさで慕われたが、最後の東京大空襲で戦災死した。
- 没年月日
- 昭和20年 5月20日 (1945年)
- 家族
- 息子=春風亭 柳枝(8代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報