柴又村(読み)しばまたむら

日本歴史地名大系 「柴又村」の解説

柴又村
しばまたむら

[現在地名]葛飾区柴又一丁目・同三―七丁目・金町浄水場かなまちじようすいじよう

金町村の南に位置し、西は新宿にいじゆく町。東は江戸川を挟み下総国葛飾郡下矢切しもやきり(現千葉県松戸市)、南は鎌倉かまくら新田。南端を佐倉道が通る。柴俣村(田園簿)・芝又村(元禄郷帳など)・芝股村などとも記された。養老五年(七二一)の下総国葛飾郡大島郷戸籍(正倉院文書)にみえる「嶋俣里」の遺称地とされる。中世葛西かさい御厨のうちで、応永五年(一三九八)八月日の葛西御厨田数注文写(鏑矢記)に「嶋俣 七(丁カ)五反 二ケ郷分」とあり、年月日未詳の葛西御厨入部注文写(同書)には「嶋俣 七町五段」、年月日未詳の葛西御厨田数注文写(同書)には「嶋俣 二ケ郷分七町五段」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報