柴島村(読み)くにじまむら

日本歴史地名大系 「柴島村」の解説

柴島村
くにじまむら

[現在地名]淀川区柴島一―三丁目・東淡路ひがしあわじ一丁目

薬師堂やくしどう村の北、淀川と中津川(長柄川)の分岐点北岸に位置し、集落は南部の薬師堂村境付近に集中する。国島とも書いた(摂陽群談など)。平安時代には柴島庄があり、寛正二年(一四六一)一二月二六日の中島崇禅寺領目録(崇禅寺文書)の「中島所々年貢茶目録」に「柴島南方」「柴島北方」がみえる。地名由来について、当地は古く難波八十島の一つでくき島と称したが、のちそれが転訛したとする説(西成郡史・大阪府全志)洪水で柴に乗った小祠が漂着したとする説(柴島神社社伝)、この辺りには櫟の木が多く柴薪の料としたのでくぬぎ島と称していたが、のち転訛したとする説(摂津名所図会大成など)などがある。

元和元年(一六一五)から同三年まではのち播磨国林田藩主となった建部政長と和泉国陶器藩小出三尹の相給、小出三尹領は元禄九年(一六九六)の廃藩まで陶器藩領として続くが、建部政長領は元和三年幕府に収公された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む