柴田天馬(読み)シバタ テンマ

20世紀日本人名事典 「柴田天馬」の解説

柴田 天馬
シバタ テンマ

明治〜昭和期の中国文学者



生年
明治5年10月3日(1872年)

没年
昭和38(1963)年2月9日

出生地
鹿児島県

本名
柴田 一郎

学歴〔年〕
東京法学院卒業

主な受賞名〔年〕
毎日出版文化賞〔昭和28年〕

経歴
明治38年中国に渡り、安東新聞、満鉄などに勤務。この間「聊斎志異」に傾倒、43年より翻訳の形で雑誌に発表しはじめ、大正8年に選訳を刊行、昭和8年には全訳の第1巻を出したが発禁となる。22年帰国。大仏次郎に励まされて「聊斎志異」全10冊(26〜27年)を完訳、これにより28年の毎日出版文化賞を受賞した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴田天馬」の解説

柴田天馬 しばた-てんま

1872-1963 明治-昭和時代の中国文学者。
明治5年10月3日生まれ。柴田圭三の子。明治38年満州(中国東北部)にわたり,安東新聞社,満鉄勤務をへて,満州経済時報社長。中国清(しん)代の怪異小説集「聊斎志異(りょうさいしい)」の翻訳をこころざし,昭和8年第1巻を出版,27年全訳10巻を刊行した。昭和38年2月9日死去。90歳。鹿児島県出身。東京法学院(現中央大)卒。本名は一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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