新聞、雑誌、書籍など主として出版物の特定の号または本の発売および頒布(無償の配布)行為を禁止する公権力による処分、いわゆる発売頒布禁止処分の略称。このうち新聞、雑誌などの定期刊行物については別に発行禁止(当該定期刊行物の存在自体の禁止)処分があるが、発禁と略称される場合は通例前者をさす。発禁は日本では今日は存在せず、類似なものに違法な猥褻(わいせつ)出版物等についての押収処分があるにとどまるが、第二次世界大戦前の旧体制下で猛威を振るった政府の言論統制手段として有名。この発禁は、新聞紙、雑誌については新聞紙法第23条、書籍などについては出版法第19条により、それぞれ内務大臣が「安寧秩序」を乱しまたは「風俗」を害するものと判断した場合に自由裁量で行うことができるいわゆる行政処分である。そのうえこの両法は行政訴訟による救済の道を閉ざしていたから、内務大臣の処分は最終処分で、発禁を受ければ泣き寝入りのほかはなかった。したがって政府にとってはきわめて機動性に富む、便利で効果的な言論統制手段であった。ことに新聞、雑誌など定期刊行物の統制には絶大な威力を発揮した。新聞、雑誌についてはさらに、この種の記事を掲載すると発禁処分に付するという事前の警告をはじめとするいわゆる記事差止め処分なるものが、内務大臣の発禁処分を補完する便宜的処分として法的根拠もないまま公然と行われた。
発禁処分権は、第二次大戦期、国家総動員法に基づく新聞紙等掲載制限令(1941)によって「外交」その他「国策遂行ニ重大ナル支障」を生じるおそれのある記事を掲載した新聞紙等に対し内閣総理大臣(実際の処分は情報局が担当)にも認められた。前述の新聞紙法以前は新聞紙、雑誌の発行禁・停止が内務大臣(卿(きょう))の行政処分として認められ、同時にその被処分紙誌の発禁処分権も認められていた。発行禁・停止の行政処分は、手続規定違反については1875年(明治8)の新聞紙条例、内容違反は「国安妨害」の場合について規定した76年の同条例改正、「風俗壊乱」は80年の同条例改正で創設された。97年の同条例改正では発行禁・停止の行政処分が廃止されたが、新聞紙、雑誌に告発手続がとられた場合に随伴処分として発禁処分が認められていた。これが新聞紙法で独立の行政処分となったわけである。
書籍などに対する出版統制の歴史は、最古の出版法規とみられている出版物の無許可発行を禁止した触書(ふれがき)(1672)以来古い。これらの触書などに違反した出版物の発売・頒布は当然禁止されていたから、その意味の発禁は江戸時代から存在していたといえる。しかし書籍などに対する発禁処分が、内務大臣の行政処分として規定されたのは1887年の改正出版条例第16条が最初で、前述の出版法第19条はその継承である。発禁の対象となった本は一般に発禁本と称されている。1934年(昭和9)の出版法改正で蓄音機用レコードも同法の対象となると同時に、レコードについても発禁が内務大臣の行政処分として行われるようになった。これらの発禁は第二次大戦後のGHQ(連合国最高司令部)指令による新聞紙法など発禁処分の根拠法令の効力停止や廃止とともに消滅した。
[内川芳美]
『奥平康弘著『検閲制度』(『講座日本近代法発達史 第11巻』所収・1967・勁草書房)』
〈発売禁止〉の略語であるが,〈発行禁止〉を指すこともある。第2次大戦後廃止された新聞紙法(23,24条)および出版法(19,20条)によれば,内務大臣は安寧秩序を乱したり,風俗を害するものと認めたときは,新聞その他の文書,図画の発売・頒布を禁止することができた。この禁止命令に違反した発行人,編集人または著作者,発行者は,禁錮または罰金刑に処せられた。発売禁止は一時的な行政処分であるが,発行人等に与える心理的・経済的圧力は大きく,言論・出版の自由に対する深刻な脅威となった。また,それ以前の新聞紙条例の時代には,行政庁の処分としての発行禁止(および発行停止)という制度が認められていた。発行禁止は新聞や雑誌の発行を将来に向かって永久に禁止するものであり,いわば新聞・雑誌への死刑宣告ともいうべき処分であった。明治政府は言論弾圧のためこの処分を乱用したことから,強い批判が生じ,1897年の新聞紙条例改正の際,行政処分としての発行禁止・停止は廃止された。新聞紙法はこれを引き継いだが,裁判所による処罰(司法処分)としての発行禁止はなお認められていた(43条)。また,出版法による出版物も,掲載許可事項以外の記事が掲載された場合(たとえば学術雑誌が時事問題を掲載したときなど)は,内務大臣は出版を差し止めることができた(一種の発行禁止処分,34条)。発禁は,当該新聞,出版物の自由を抑圧するにとどまらず,国民の知る自由,読む自由を奪うものであり,政治的・社会的・文化的損失はきわめて大きい。
現憲法の下では,発行禁止はもとより,行政処分による発売禁止が許される余地はまったくない。司法処分による発売禁止も原則的には検閲の禁止(憲法21条2項)に当たると解されるが,判例は厳密な条件のもとに,名誉毀損,プライバシー侵害の場合には,発売・頒布の差止仮処分は許される,としている(映画《エロス+虐殺》事件,《北方ジャーナル》事件など)。そのほか,現憲法の下で発禁的処分に近いものに,警察官がわいせつ文書の疑いで,書店などから証拠品として押収する場合や,青少年保護条例に基づき有害図書類の販売を規制したり,収納図書類を事前にチェックして自動販売機の設置を禁止する場合などがある。前者は,わいせつの犯罪物件であることが,また後者は青少年を有害環境から保護するという理由はあるけれども,それらの行為も行き過ぎれば憲法21条に反する〈発禁処分〉となる。発売禁止的措置は多くの国でなお認められているが,アメリカ合衆国などは裁判所の命令を必要としている。しかし,〈将来に向かって発行を禁止する〉制度は,外国出版法の中にも,あまりその類例を見ない。そのような制度は,言論・出版の自由という基本的人権の否定に通じているからである。
→禁書 →言論統制 →表現の自由
執筆者:清水 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…93年4月出版条例を出版法と改めたが,この出版法はその後出版統制を強化する方向で何回か改正され,1945年9月GHQによって失効させられ,49年5月正式に廃止するまで続く。ちなみに1893年の出版物発禁は124件であったが,大正に入り,風俗壊乱で発禁となるものが多く,1913年には1096件に上っている。23年の発禁処分は,風俗壊乱1442件に対し安寧秩序違反(思想取締)893件であったが,昭和に入るとこの比率が逆転し,思想統制の厳しさがうかがわれる。…
※「発禁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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