20世紀日本人名事典 「柿沼昊作」の解説 柿沼 昊作カキヌマ コウサク 大正・昭和期の内科学者 東京大学医学部教授・学部長。 生年明治25(1892)年6月1日 没年昭和27(1952)年4月26日 出生地東京 学歴〔年〕東京帝大医科大学〔大正5年〕卒 学位〔年〕医学博士〔大正11年〕 経歴青山胤通教授、次いで稲田竜吉教授の指導を受けた。大正10年ドイツ留学、11年医学博士、13年岡山医科大学教授となった。昭和12年東大教授に転じ、内科第1講座を担当、26年医学部長、翌27年公務中に倒れた。死後解剖の結果、脳の重量は1670グラムで、日本人の脳重量の記録を破った。流行性脳炎、体温調節、心不全の臨床などの研究に当たった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柿沼昊作」の解説 柿沼昊作 かきぬま-こうさく 1892-1952 大正-昭和時代の内科学者。明治25年6月1日生まれ。岡山医大(現岡山大)教授をへて昭和12年母校東京帝大の教授となり,26年医学部長。体温調節の生理,日本脳炎,心不全などの研究で知られた。昭和27年4月26日死去。59歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by